第5回 外交論文コンテスト 佳作

世界の食料安全保障の実現に向けた日本の取組について

久野千尋

1. はじめに
 昨年9月の国連サミットで、ミレニアム開発目標の後継として、2016年から2030年までの国際目標を示す「持続可能な開発のための2030アジェンダ」が採択された。貧困を撲滅し、持続可能な世界を実現するために掲げられた「持続可能な開発目標(SDGs)」は、発展途上国のみならず、先進国自身が取り組むユニバーサルなものであり、取組の過程で、地球上の誰一人として取り残さないことを誓っている[1]。
 国際社会が取り組むべきグローバルな課題として、SGDsに掲げられた17ある目標のうち、本論文では、「目標2:飢餓に終止符を打ち、食料の安定確保と栄養状態の改善を達成するとともに、持続可能な農業を推進する」に着目する。そして、これらの課題を包括する世界の食料安全保障の実現に向けて日本が取り組むべきことについて、①日本政府、②民間企業、③NGO・NPOの3つの主体に分け、これまでの取組を踏まえ、今後の取組に対する提言を行う。

2. 世界の食料安全保障を取り巻く状況

 すべての人々が食料を安定的に確保し、かつその食料が適切な栄養を満たすものであることを求めるのは、1996年世界食料サミットで国際的に受け入れられた食料安全保障の考え方である。飢餓・栄養不良・農業・食料の安定確保に関する食料安全保障はグローバルな課題として、これまでも長きにわたり議論されてきた。開発途上地域において、栄養不良の人々の割合は、1990年~1992年の23.3%から2014年~2016年の12.9%と、1990年以来ほぼ半減しているが、今日も世界人口の9人に1人にあたる7億9,500万人が依然として栄養不良に陥っている[2]。また、栄養不良が原因で死亡する5歳未満の子どもは年間310万人と、子どもの死者数のほぼ半数となる45%を占めている[3]。さらに、栄養不良は、例え死を免れたとしても、それが慢性的になると、子どもの身体や認知能力を低下させる発育阻害となり、将来の健康にも影響を与える。こうした発育阻害の状態にある子どもは、世界で4人に1人、開発途上国に限ると3人に1人に上る[4]。
 また、現在の世界人口の約40%にあたる人々が農業を生計手段としているが、農業従事者は農村部の貧困世帯に特に多い。また、全世界で5億軒ある小規模農家のうち、そのほとんどが灌漑設備を持たず、降水で作物に必要な水分供給を行う天水農業を営んでいる[5]。近年、地球温暖化による自然災害が頻発するなど、気候変動が農業や世界の食料システムに対する脅威となっている中で、開発途上地域の小規模農家らはその影響を最も受けやすい。実際に農作物の生産量低下は、食料の消費量低下をもたらすだけでなく、収入の低下により、農業への投資機会が失われる。また、教育や医療保健などのサービスを受ける安定した生活の基盤を揺らがす原因にもなっている[6]。
 さらに、マクロな観点から、人口増加による世界の食料需給の逼迫も危惧される。2015年半ばに73億人に到達した世界人口は、2050年には97億人に達すると予測されている[7]。農林水産政策研究所の調査[8] によると、人口増加に伴い、世界の穀物消費量が増加し、飼料用の穀物消費量も食用を上回るペースで増加すると予想されている。また、世界の穀物生産量は、単収の向上を主な要因として増加することが予想されるが、穀物需要も増加するため、中長期的には期末在庫率が低下することが予想される。すなわち、中長期的には世界の食料需給は逼迫することが見込まれる。
 このようにして、飢餓・栄養不良・食料の安定確保を取り巻く状況は、開発途上地域の最貧困層の飢餓・栄養不良の状態の改善から、先進国を含む食料の安定確保まで、多岐にわたっている。このため、世界全体の食料安全保障を実現することは、開発途上地域に限るものではなく、グローバルで、極めて重要な課題となっている。

3. 主体別に見るこれまでの取組及び今後の取組に係る提言

(1)日本政府
 世界の食料安全保障の実現に向けて、日本政府が取り組むべきことを以下二点に挙げる。
 一つ目は、日本政府は引き続き、食料安全保障・農業・栄養の分野において、国際社会における議論をリードしていくことである。また、その議論には、民間企業やNGO・NPOなど様々な主体の参加機会を確保し、多様な視点を取り入れ、望ましい解決策を検討・実施していくことが必要である。
 食料安全保障・農業・栄養の分野は、これまで日本が国際社会の議論を主導してきた分野の一つである。経緯としては、穀物などの国際価格が歴史的な高騰を記録した2007年から2008年に遡る。価格の高騰により、自国民への食料の安定供給を目指した諸国は、アフリカ地域などの開発途上国において大規模な農業投資を実施した。しかし、それは農地争奪として、現地の人々の食料安全保障や土地所有権、雇用などの様々な権利を脅かすものであると報道され、国際的な問題となった。こうした状況を踏まえ、日本は、2009年G8ラクイラ・サミットにおいて、農業投資によって生じ得る負の影響を緩和しつつ、同時に農業投資の促進を通じて、農業生産の増大、生産性の向上を図り、投資受入国政府、小規模農家を含む現地の人々、そして投資家という三者の利益の調和と最大化を目指した「責任ある農業投資」のコンセプトを提唱した[9]。そのコンセプトはその後、日本のイニシアティブにより、国連食糧農業機関、国際農業開発基金、国連貿易開発会議及び世界銀行が策定した「責任ある農業投資原則(PRAI)」につながっている。さらに、2014年10月第41回世界食料安全保障委員会(CFS)において、農業投資を責任ある形で進めていくため、国家、小規模農家とその団体、農家を含む企業、市民社会団体などのステークホルダーの役割と責任、及びこれらに共通する役割を特定し、行動を導く枠組みを提供する「農業及びフードシステムにおける責任ある投資のための原則(CFS-RAI)」が採択され、国際的な規範となっている。このように、日本の提唱した「責任ある農業投資」のコンセプトが、今日の様々なステークホルダーにとっての規範となる重要な原則につながっており、この分野における国際社会の議論の方向性をリードしてきた成果でもある。
 また、今年5月に行われたG7伊勢志摩サミットでも、日本は食料安全保障・農業・栄養の分野で議長国として議論を主導した。その議論の中でG7が発表した「食料安全保障と栄養に関するG7行動ビジョン」について、サミット開催後の10月、この行動ビジョンのフォローアップとして、外務省は国際シンポジウムを主催した[10]。そこでは、G7各国政府、国際機関、市民社会、民間企業など多様なステークホルダーによるパネル・ディスカッションなどを通じて、食料安全保障と栄養に関する議論の成果が発信されている。こうしたこれまでの取組や成果を踏まえ、日本がプレゼンスを発揮できる本分野において、日本政府は引き続き国際社会での議論を牽引していくべきである。
 一方、食料安全保障や栄養改善に向けた課題の解決にあたっては、民間資本の活用促進や多様なステークホルダーの参加が不可欠としながらも、こうしたシンポジウムや国際会議の場での民間企業やNGO・NPOの発言機会は、その他政府機関や国際機関と比較すると非常に限られている。このため、今後は、こうした場での民間企業やNGO・NPOなどの参加や発言機会を確保し、多様なステークホルダーの協調を促し、世界の食料安全保障の実現に向けた議論や取組を推進していく必要がある。
 二つ目に、政府開発援助(ODA)を効果的に活用し、民間企業の進出をより一層促進することである。農業・農村開発分野に関して、日本はこれまでもODAを通じて開発途上国における支援に積極的に取り組んできた。また、2015年2月に閣議決定された「開発協力大綱」に基づき、フードバリューチェーンの構築を含む農林水産業の育成や、食料安全保障及び栄養などの地球規模課題の解決に必要な取組を行うこととしている。DAC諸国の中でも日本の協力実績は顕著であり、外務省の報告[11]によると、2009年から2013年までの農林水産分野へのODA実績は、DAC諸国の中で1位のアメリカ(7,681百万ドル(約束額ベース))に次ぎ、日本は2位(3,590百万ドル(約束額ベース))となっている。
 農業開発及び食料の安定確保においては、農林水産物の生産から製造・加工、流通、消費に至るフードバリューチェーンが一連の流れとして構築されていることが必要であり、そのためには民間企業の進出が不可欠である。しかしながら、開発途上地域、特にアフリカ地域では、農産物の輸送に必要なインフラが整備されておらず、輸送コストが高くなるため、民間投資を呼び込める状況になく、民間企業にとってのインセンティブが少ない。実際にこれまで本邦企業の関心や生産・輸出拡大の見込みの大きさなどから、ブラジル、アルゼンチンなどを中心に農業投資が行われ、穀物などの集荷・販売能力の強化が実施されてきた[12]。今後は、将来性のあるアフリカ地域を見据え、農業の生産技術の普及や灌漑施設の整備など農業開発に係る支援の実施に加え、インフラ整備のプロジェクトと連携し、フードバリューチェーンを確保・強化する農作物の生産・流通インフラを整備していくことが望ましい。これにより、民間企業が参入するインセンティブを向上させ、民間企業の進出を促し、食料が安定的に確保・流通されることで、世界の食料安全保障の実現に寄与することができる。

(2)民間企業
 グローバル課題解決のための公的部門の資金が限られている中、民間企業との連携による開発協力が注目されている。民間企業の持つ技術やノウハウ、ブランド力や商品企画力、マーケティング力などを開発協力の事業に活用することで、事業の持続性や効率性の向上が期待できるとともに、ODA事業では手の届かない開発問題の解決が見込まれる[13]。
 このような背景から、世界の食料安全保障の実現に向けて民間企業が取り組むべきこととして、JICAや国際援助機関と連携して、現場のニーズを把握しながら、食料・栄養・農業分野に係る事業を展開していくことはもとより、その事業で得られた知見や課題を他の企業とも積極的に共有していくことが重要である。栄養改善の分野では、既に多くの国内企業がJICAと連携して協働事業を実施している。代表的な例として、離乳食の栄養バランスを改善・強化するサプリメントの製造・販売を通じて、離乳期の子どもの栄養改善への貢献を目指す、味の素株式会社のガーナにおける栄養改善プロジェクトがある[14]。このプロジェクトは、栄養改善のための民間連携として国際援助機関からも評価されており、JICAや国際援助機関の広報誌やシンポジウムなどでケーススタディとして紹介されるなど、数多くのメディアに取り上げられている。こうした事例の共有は、実施主体である民間企業のブランド力や認知度の向上に寄与するだけでなく、他の民間企業が食料・栄養・農業分野に係る開発事業への参入を検討する好事例となり得る。このように、民間連携の事業を通じて得られた成果や改善点などを広く共有し、他の民間企業の参加を促すことで、世界の食料安全保障の実現につなげていくことが望ましい。

(3)NGO・NPO
 NGO・NPOは政府や民間企業から独立した市民団体という立場から、一般市民や現場の声を吸い上げ、政府や自治体、国際機関や国際社会などに対して広く発信し、課題に対する解決策を提言することで、社会的な課題の解決に繋げる役割を担っている。このような役割を担うNGO・NPOが世界の食料安全保障の実現に向けて強化すべき点を以下に二点挙げる。
 一つ目は、他のNGO・NPOと相互に連携してアドボカシー活動を強化していくことである。食料安全保障の実現に向けた政策立案や国際ルールの策定時など、これまでも様々なNGO・NPOが政府や自治体、国際機関に対するアドボカシー活動を活発に行ってきた。しかしながら、国際会議では一つのNGO・NPOに与えられる発言の機会や割り当ての時間が限られている。また、NGO・NPOの規模やその影響力から、十分な効果を得られないこともある。そこで、主張や目的を一にする複数のNGO・NPOが相互に連携してネットワークを形成し、諸課題に関する現状を的確に分析し、それに対する具体的な解決策を明確に、かつ時宜を得て世界に訴えていくことが重要である。これにより、効果的なアドボカシーを実現し、食料安全保障に係る望ましい政策立案や国際ルールの策定を実現していくことが可能となる。
 二つ目に、飢餓・栄養不良・食料問題について考え、行動できる次世代の育成を強化することである。世界の食料安全保障の実現に向けて、短期的に成果が期待される事業の実施のみならず、長期的な視野に立って、今後この分野に携わり、貢献していくことのできる次世代の育成が不可欠である。これまでも、NGO・NPOでは次世代育成に取り組んでおり、例えば国連が制定した10月16日「世界食料デー」に関連した各種イベントの実施やNGO・NPOの職員らによる国内の学校での食料問題に関する出張授業などが実施されている。しかしながら、飢餓・栄養不良・食料問題が私たちにとって身近な問題として十分に認知されているとは言えない。そこで、こうした問題に関心を持ち、その解決に向けて行動できる次世代の育成を見据え、子供たちが主体的に取り組むきっかけを作ることが必要である。そこで、例えば、地方自治体の栄養士会や区市町村などと連携し、各学校における給食や食育に係る授業の中で、世界の食料・栄養問題を学ぶ機会を定期的に設けていくことが必要である。これにより、一人でも多くの子どもがこの問題について考えるきっかけを作ることができ、世界の食料安全保障に貢献する次世代の育成を図ることができる。

4. 最後に
 これまで、世界の食料安全保障の実現に向けて日本が取り組むべきこととして、①日本政府、②民間企業、③NGO・NPOの3つの主体に分けて、それぞれの立場から取り組むべきことを提言として論じてきた。それぞれの主体が各々の役割を十分に果たし、相互に連携を図りながら、世界の食料安全保障の実現に向けて取り組むことで、世界から飢餓をなくし、誰もが安心して食べられる社会が実現されることを願ってやまない。

脚注
[1]外務省HP「持続可能な開発のための2030アジェンダ」(2016年10月27日) (http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/about/doukou/page23_000779.html、最終閲覧日:2016年11月28日)
[2]国連広報センターHP「持続可能な開発のための2030アジェンダ採択―持続可能な開発目標ファクトシート」(2015年9月17日)(http://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/15775/、最終閲覧日:2016年11月28日)
[3]同上
[4]同上
[5]同上
[6]オックスファム・ジャパンHP「気候変動と食料問題:企業の責任と役割」(2016年10月31日)(http://oxfam.jp/whatwedo/cat13/cat2/post-57.html、最終閲覧日:2016年11月28日)
Oxfam, “Feeding climate change”, (June, 2016) (http://oxfam.jp/whatwedo/cat13/cat2/post-57.html, 最終閲覧日:2016年11月28日)
[7]United Nations, “World Population Prospects”(2015), (https://esa.un.org/unpd/wpp/Publications/Files/WPP2015_DataBooklet.pdf, 最終閲覧日:2016年11月28日)
[8]農林水産政策研究所「世界の食料需給の動向と中長期的な見通し―世界食料需給モデルによる2025年の世界食料需給の見通し―」(平成28年3月)(http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/jki/j_zyukyu_mitosi/pdf/2025_bunseki.pdf、最終閲覧日:2016年11月28日)
[9]外務省HP「責任ある農業投資を巡る国際的な議論と我が国の取組」(2016年5月)
(http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000022443.pdf、最終閲覧日:2016年11月28日)
[10]外務省HP「食料安全保障・栄養に関するG7国際シンポジウム(概要と評価)」(2016年10月26日)(http://www.mofa.go.jp/mofaj/ecm/es/page1_000261.html、最終閲覧日:2016年11月28日)
[11] 外務省HP「ODA(政府開発援助)―農業開発 実績」(2016年7月19日)(http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/bunya/agriculture/statistic.html、最終閲覧日:2016年11月28日)
[12]農林水産省HP「海外農業投資をめぐる状況について(大臣官房国際部)」(2016年5月)(http://www.maff.go.jp/j/kokusai/kokkyo/toushi/pdf/2016_5_invest.pdf、最終閲覧日:2016年11月28日)
[13]JICA「国際協力機構(JICA)の栄養改善のための民間連携」(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kenkouiryou/kokusaitenkai/eiyo_dai1/siryou10.pdf、最終閲覧日:2016年11月28日)
[14]味の素株式会社HP「ガーナ栄養改善プロジェクト」(https://www.ajinomoto.com/jp/activity/csr/ghana/、最終閲覧日:2016年11月28日)